太古の昔、現在の日本の万世橋付近に、高度な文明を持つ「骨葉原」という都市が存在したことは、歴史の授業などで皆さんもご存知でしょう。

骨葉原はたいへん発達した文明を持ち、 文学や数学、音楽などが研究され、独自の考え方を持った優秀なひとびとがたくさん暮らしていました。バイトという貨幣を用いた商業などが栄え、ひとびとはたいへん豊かな暮らしをしていたそうです。
しかし、おおきな災いが訪れ、7日7晩の大火ののち、高度に栄えた骨葉原文明は滅びてしまいました。
20世紀の後半、ゼネコンのおおきな開発事業のさなかに偶然発見された一枚の壁画が、まぼろしと言われていた骨葉原文明が確かに存在したことを証明しました。

世界じゅうの考古学者が万世橋に発掘・研究に訪れました。発掘が進むにつれ、しだいに音楽にかかわる遺跡が多数発見され、世界の音楽学者の注目を集めるようになりました。
そこで、わたしたちボーンマシーンは、骨葉原のひとびとの気持ちを考えて、当時の音楽と暮らしを再現するプロジェクトを計画しました。

骨葉原のひとびとはどんなものに興味を持ち、それを音楽へと変えていったのでしょう。そこにはどんなよろこびがあったのでしょう。
ある時、再開発事業の工事現場、現在のジェイアール電気街口の北側あたりから、ひとつの楽器が出土しました。

一見、わたしたちのよく知っているスケートボードのような形をしたその楽器は、現在のギターのような6本の弦を持ち、電気による増幅装置がとりつけられていました。
わたしたちはこの楽器についての資料を集め、忠実に再現することを試みました。そしてほぼ当時と同じと思われる形で再現することに成功しました。
わたしたちはこの楽器を「ギターボーン」と名づけ、多くの壁画や資料をしらべて、演奏方法を研究しました。

この楽器が発明された当時は、まだ「音程」や「チューニング」という概念がなかったこと、弦楽器なのにバチ状のもので叩いて演奏していたことなどがしだいにわかってきました。

わたしたちはさらに研究を重ね、この楽器を用いた合奏の方法などをあきらかにしていきたいと考えています。

第一回は、わたしたちの発見した「ギターボーン」についておはなししました。次回は、現在研究を重ね、プロトタイプが完成した「アキンバ」についておはなしいたします。

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